患者の手紙を黙って読む看護師。

 今日は通院できた。なぜBlogに、こんなことを書いているのか自分でも不思議だ。ただ、かつては通し(スルー)で書こうとして失敗しているので、書けるときに書いておこうという気持ちが大きい(ちなみに私は日記を付けている)。

 私が初めて放り込まれた精神病院というところは変な人ばかりだった。のちに中央大の教授らしい人(予備校の講師だが偽名で教えていたらしい)に「色んな人を見て勉強になったでしょう」みたいなこと言われたが、見なければよかったと思う。

 高校生の私が見たのは醜いオッサンばかりだった。ギターを3音ばかり弾いて、これでTVに出れば名前が表示されると言う頭が薄くなったオッサン、常に卑猥なことを考てグフグフと笑っているオッサン。

 しかし、こうしてBlogに駄文を書いている自分の姿を重ねると、彼らと何も変わらないではないかと思う。病院なのに物で溢れかえっている病床も、まるで汚部屋になった自室を見ているようだ。

 そうでない人もいたが、例えば梅毒で入院しているのだけど実質的には老人ホーム代わりに入院している人、本当かどうか知らないがラジオで株式を聞いて電話を架けては株の売買をしているという老人。

 心がヤワな大学生が入院していて新人の看護師と良い雰囲気というのは、まだマトモな方だ。今になってみると看護師にも酷い人はいた。私の手紙を黙って読んで、さらに読んでいないと言い張る看護師。
 任意入院なのに、どうしてか、今になると謎なのだが、閉鎖病棟だったからだろうか、手紙に封をして投函することができず、看護師に封をして投函してもらっていた。それを、その看護師が手紙の内容についてグタグタ言うようになった。

 仕方がないので手紙に「読まれているから書けない」と書いたのだが、看護師本人から「読んでいない」と抗議を食らった。しかし、手紙を読まれていると誰にも訴えたことはなく、手紙の中にしか書いていないのだ。

 どうして手紙を読んでいると思われているかと訊いたが、ガキのように読んでいないを繰り返すばかりだった。これが1990年代初めの国立の大規模な精神病院の姿だ。これが国家公務員なのだ。建物も古く畳が敷かれていた。

 のちに親に「だまし討ち」をされて武蔵野市の外れにある民間の精神病院に放り込まれたときがあったが、21世紀に入ったというのに、そのときの、武蔵野市の外れにある病院は、さらに酷かった。