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私を大学へ行かせなかった叔父の話。

体験記

 私の最終学歴は専門学校卒である。しかし、専門学校は学校旧幾法上の学校ではないため、高校を出ていない私は中卒になってしまう。

 大検を取ったあと2年、大学も、そこそこ受けた。しかし、精神病を病んで高校を退学している私の内申書が良いはずがない。

 大学によっては不合格理由を公開しているところもあったが、理由は内申書によると明記してあった。

 そんな中、私は神田外語学院という専門学校に出会った。併設の神田外語大学へ3年次へ編入可能であるという。

 私は最終募集の最終日に願書を提出した。神田外語は全員に面接試験があり、それが良かったのだと思う、上から4番目のクラスに入学した。

 それから2年の勉強は楽しいものだった。実家を追い出されて麻布仙台坂上にある叔父の家から学校に通っていたが、2往復の自転車通学も苦にならなかった。

 また、麻布の家は叔父が手入れをしていないために内風呂も使えない状態になっていたのだが、銭湯に通うのも苦にならなかった。

 そして、私は、成績のほとんどで秀と優を収め、2年次で、いちばん良いクラスに編入した。大学への編入は当然、パスした。

 私は大学へ行く気満々で、叔父も両親に大学へ行かせるように両親に言うと約束していた。しかし、それは反故にされた。

 理由は「勉強なんて嫌いなものに決まっているから、朝から晩まで机に向かっていて勉強なんてしているわけがない、ボーっとしているに決まっている」。

 親も叔父の言うことを鵜呑みにした。私は叔父に学期末ごとに成績を見せていたし、両親の元にも優と秀の並んだ成績表が郵送されていた。

 結局、就職戦線にも間に合わず、私はブラック企業へ入社することになるが、これは機会を見て書く。

 ただ、今度は麻布の家を追い出されるとき、叔父が私の成績表を再び見て「お前、こんなに成績が良かったのか!」と感嘆したのには呆れた。

 自分の先入観の前には、成績などの客観視したデータなど、どうでも良くなってしまうのだ。それは就職しても変わらなかった。